雑考

大聖人様は上行菩薩末法の本仏?

大聖人がなんと言っているか御書を見て見ます🎵

日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使(おんつかい)・法華経の行者なりと名乗りそうろうを」
(一谷入道御書) 


日蓮いやしき身なれども、教主釈尊の勅宣を頂戴して、此の国に来たれり」(四条金吾殿御返事)

と、御自身を釈尊の弟子であると自覚されていました。

建治三年六月「頼基陳状」

「其の故は日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来(くじょうにょらい)の御使上行菩薩垂迹(すいじゃく)法華本門の行者五五百歳の大導師にて御座候(ござそうろう)聖人を」
とあります。四条金吾日蓮のことを「久成如来の御使上行菩薩垂迹」と仰いでいたことが分かります。

「ひとり三徳をかねて恩深き仏は釈迦一仏に・かぎりたてまつる、親も親にこそよれ釈尊ほどの親・師も師にこそよれ・主も主にこそよれ・釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ」
「南条兵衛七郎殿御書」
大聖人は釈尊を本仏として崇めていた事が分かります。

文永11年12月大聖人御図現の万年救護本尊の脇書。
「大覚世尊御入滅後、経歴二千二百二十余年、雖尓月漢日三カ国之間、未有此大本尊、或知不弘之、或不知之、我慈父、以仏智、隠留之、為末代残之、後五百歳之時、上行菩薩出現於世 始弘宣之。」

後五百歳の末法の時、上行菩薩が世に出現して初めてこの大本尊を弘宣する、と大聖人自ら自身を上行菩薩の再誕として書かれています。
その他たくさん在りますが、大聖人は、自身を上行菩薩の再誕と捉えて、釈尊の久遠の弟子で有ると言うお立場で有ったと解釈出来ます。
こう言う事を言うと、
「君は何を学んできたの?大聖人は主、師、親、の三徳を備わっているから本仏だよ」とか、

「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候も・わたくしの計にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり」
「上野殿御返事 1,546ページ」

釈迦の法華経末法では詮なき事だから大聖人の題目のみ必要だから本仏だとか、

「報恩抄」の
「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を用いて日蓮本仏論を展開しそうですが、
そもそもこの両御書は、解釈の違いで、釈尊の弟子とか本仏とか読む事が出来ますが、他の御書と総合的に見るなら、釈尊の弟子と自ら言っている大聖人を本仏に祭り挙げるには無理が有ると思いました。

「報恩抄」について宮田先生は、
「多分「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩」全体が「脇士となるべし」の主語となるというのが、古文の読解としては最も素直な読解であろう。しかしそうなれば「本門の教主釈尊を本尊とすべし」の「本門の教主釈尊」と脇士となる「所謂宝塔の内の釈迦」とは同じ対象を指示すると考えることが困難になり、日蓮正宗のようにこの指示対象を別々の存在とし、「本門の教主釈尊」とは「久遠元初の本因仏=日蓮」を指示し、「所謂宝塔の内の釈迦」とは「久遠実成の本果仏」を指示するという解釈の余地を生じる。」
と言っているように、日蓮本仏論を展開出来ますが、、、、」
このあと宮田先生は、この御書は省略で書かれていて、観心本尊抄を用いて上行らが釈尊の脇士に成ると読解しました。


どちらにしろ、日蓮自ら明確に釈尊の弟子と言っているのを無視して、日蓮本仏の過大解釈には問題有りと思います。

それでは、「本門の教主釈尊」と釈迦は同一なのか違うのか?
日蓮上行菩薩は同一なのか違うのか?
私は本門の教主釈尊は久遠の根本仏、釈迦は法華経を説く今仏。このように解釈してます。
同様に、上行菩薩は久遠の過去菩薩。日蓮は再誕として現れた今菩薩。
このように解釈すれば、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」の「本門の教主釈尊」と脇士となる「所謂宝塔の内の釈迦」とは同じ対象を指示すると考えることが困難になる事は無いと思います。
この「報恩抄」の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」は、木仏像本尊の事では無く、曼陀羅本尊の中央南無妙法蓮華経と捉えれば、(観心本尊抄や阿仏房御書や本尊問答抄等から、報恩抄の本門の教主釈尊を本尊とすべしの本尊が、木仏像や釈迦仏とは考えにくい)矛盾は無いと思います。
曼陀羅には久遠の根本仏南無妙法蓮華経釈尊と始成正覚の釈迦仏。薬王菩薩と再誕の天台大師。上行菩薩と再誕の日蓮。このように指示をしていると考える事が出来ると思います。
久遠実成の本仏(本因仏)の釈尊を。釈迦多宝(本果仏)上行等が脇士となす。と素直に読んでも良いと思われます。