自宅で死ぬこと❗️

爺さんが旅立ちして今日で3日目。
自宅のベットにまだ寝ています。
今日はお通夜。明日は告別式。
自宅で死ぬことに、家族は不安と恐怖を抱いていましたが、あまりにも呆気なく、眠るように死んでしまったので、苦労したとか大変だったとかの思いは無く、あっと言う間の出来事で、まだまだ実感がわきません。

死ぬ時は長年連れ添った婆さんの横で御本尊に見守られながらの旅立ちに、家族一同、自宅介護して良かったと思ってます。

私も妻も死ぬ時は爺さんのように、自宅で死にたいと思いました。
ボケた婆さんは、自分の旦那が死んだ事を認知出来ずに、爺さんを探したり、ご遺体の寝ている布団を剥いで、ドライアイスをどかして身体を温めようとしたりして大変です。
ある意味、親父の死より、、、死を認知出来無い、お母さんの行動を見ている方が、悲しく成ります。

お疲れさま。

最近食が細く、痩せ細ってきた爺さんですが、足首から下はパンパンに腫れていました。
本人は、痛いとか言わずに、過ごしていました。
寝たきりなので、腰が痛いとは言っていましたが、他は泣きごとひとつ言わないで、自宅の御本尊の前で寝ていました。

日曜日は婆さんがディサービスがお休みで、ズーと爺さんと一緒に過ごしていました。
夕方上着を知らない間に脱いでいたので、ベットを直して、上着を着せて、腰にクッションを当てて、大丈夫かーと声をかけたら、軽く手を上げて頷いて居ました。
夕食には、玉子豆腐一丁を食べてお酒を二口殆ど飲んで、20時頃には、軽く咳こんだ後、静かに成ったので、22時頃部屋を覗いたら、婆さんと爺さんが静かに眠っていました。
その後子供を迎えに行ったあと、23時頃ヘルパーさんから電話で、爺さんが息をしていなく、顔が冷たく成っていると連絡をもらい、急いで戻るとそこには、まるで寝ているような顔で、亡くなっていました。
顔白く、半眼半口の表情に、とても死んでいるとは思えない表情に、悲しみより、驚きと何とも言えない脱力感に襲われました。
一時間後、家族が見守るなか、0:18医師より、臨終を告げられました。81歳でした。

今声をかけるとしたら、お疲れ様😌💓
大往生だよね🎵羨ましいよ😃

私も親父のような死に方がしたいと思いました。

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遂に爺さんが、固形物を食べなく成りました。どろどろのお粥も一口食べると蒸せるようです。

今の食事は、写真の物と蜂蜜ジュースと日本酒を100ccほどです。

少し足がむくみ始めました。

言葉もだいぶ弱々しく成って来たので、聞き取り悪く成ってきました。
ただ、痛いとか、苦しいとかは言わないので、まだまだ大丈夫だと思っています。

疲れ

この数日の間、疲れがたまったせいかな?何もするき?やる気が起きません。
そうは言っても、仕事も介護も有りますし、一人逃げる訳行かないので、ちょっとずつ前に進まなければ‼️親父の事だけでわなく、子供の事などいろいろ絡んで来ると、しんどくて、しんどくて。
負けるな自分「笑」

親父の病状ですが、日に日に悪く成って行きます。
もうお粥も食べれ無くなり、豆腐とか、医者処方した高カロリーのジュースみたいな?飲み物を取っています。点滴の回数も増えたし、又々衰えがはっきり見えて来ました。
医者との話し合いで、看護師の訪問と医者の訪問を増やし、もしもの場合の対応を話し合いました。

一番辛いのは親父だよね。
爺さん頑張れ✊

雑考

大聖人様は上行菩薩末法の本仏?

大聖人がなんと言っているか御書を見て見ます🎵

日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使(おんつかい)・法華経の行者なりと名乗りそうろうを」
(一谷入道御書) 


日蓮いやしき身なれども、教主釈尊の勅宣を頂戴して、此の国に来たれり」(四条金吾殿御返事)

と、御自身を釈尊の弟子であると自覚されていました。

建治三年六月「頼基陳状」

「其の故は日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来(くじょうにょらい)の御使上行菩薩垂迹(すいじゃく)法華本門の行者五五百歳の大導師にて御座候(ござそうろう)聖人を」
とあります。四条金吾日蓮のことを「久成如来の御使上行菩薩垂迹」と仰いでいたことが分かります。

「ひとり三徳をかねて恩深き仏は釈迦一仏に・かぎりたてまつる、親も親にこそよれ釈尊ほどの親・師も師にこそよれ・主も主にこそよれ・釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ」
「南条兵衛七郎殿御書」
大聖人は釈尊を本仏として崇めていた事が分かります。

文永11年12月大聖人御図現の万年救護本尊の脇書。
「大覚世尊御入滅後、経歴二千二百二十余年、雖尓月漢日三カ国之間、未有此大本尊、或知不弘之、或不知之、我慈父、以仏智、隠留之、為末代残之、後五百歳之時、上行菩薩出現於世 始弘宣之。」

後五百歳の末法の時、上行菩薩が世に出現して初めてこの大本尊を弘宣する、と大聖人自ら自身を上行菩薩の再誕として書かれています。
その他たくさん在りますが、大聖人は、自身を上行菩薩の再誕と捉えて、釈尊の久遠の弟子で有ると言うお立場で有ったと解釈出来ます。
こう言う事を言うと、
「君は何を学んできたの?大聖人は主、師、親、の三徳を備わっているから本仏だよ」とか、

「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候も・わたくしの計にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり」
「上野殿御返事 1,546ページ」

釈迦の法華経末法では詮なき事だから大聖人の題目のみ必要だから本仏だとか、

「報恩抄」の
「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を用いて日蓮本仏論を展開しそうですが、
そもそもこの両御書は、解釈の違いで、釈尊の弟子とか本仏とか読む事が出来ますが、他の御書と総合的に見るなら、釈尊の弟子と自ら言っている大聖人を本仏に祭り挙げるには無理が有ると思いました。

「報恩抄」について宮田先生は、
「多分「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩」全体が「脇士となるべし」の主語となるというのが、古文の読解としては最も素直な読解であろう。しかしそうなれば「本門の教主釈尊を本尊とすべし」の「本門の教主釈尊」と脇士となる「所謂宝塔の内の釈迦」とは同じ対象を指示すると考えることが困難になり、日蓮正宗のようにこの指示対象を別々の存在とし、「本門の教主釈尊」とは「久遠元初の本因仏=日蓮」を指示し、「所謂宝塔の内の釈迦」とは「久遠実成の本果仏」を指示するという解釈の余地を生じる。」
と言っているように、日蓮本仏論を展開出来ますが、、、、」
このあと宮田先生は、この御書は省略で書かれていて、観心本尊抄を用いて上行らが釈尊の脇士に成ると読解しました。


どちらにしろ、日蓮自ら明確に釈尊の弟子と言っているのを無視して、日蓮本仏の過大解釈には問題有りと思います。

それでは、「本門の教主釈尊」と釈迦は同一なのか違うのか?
日蓮上行菩薩は同一なのか違うのか?
私は本門の教主釈尊は久遠の根本仏、釈迦は法華経を説く今仏。このように解釈してます。
同様に、上行菩薩は久遠の過去菩薩。日蓮は再誕として現れた今菩薩。
このように解釈すれば、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」の「本門の教主釈尊」と脇士となる「所謂宝塔の内の釈迦」とは同じ対象を指示すると考えることが困難になる事は無いと思います。
この「報恩抄」の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」は、木仏像本尊の事では無く、曼陀羅本尊の中央南無妙法蓮華経と捉えれば、(観心本尊抄や阿仏房御書や本尊問答抄等から、報恩抄の本門の教主釈尊を本尊とすべしの本尊が、木仏像や釈迦仏とは考えにくい)矛盾は無いと思います。
曼陀羅には久遠の根本仏南無妙法蓮華経釈尊と始成正覚の釈迦仏。薬王菩薩と再誕の天台大師。上行菩薩と再誕の日蓮。このように指示をしていると考える事が出来ると思います。
久遠実成の本仏(本因仏)の釈尊を。釈迦多宝(本果仏)上行等が脇士となす。と素直に読んでも良いと思われます。

御本尊雑考

親父の介護を通して、死とは?人間とは?そして今まで信仰してきた御本尊とは?仏とは?
つらつらと思いを殴り書きしますw-w-w



日蓮は何を持って本尊とすべきか?御書に照らして考えて見ます。
まずは「本尊問答抄」の

法華経の題目を以て本尊とすべし・・・此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦多宝十方の諸仏の御本尊法華経の行者の正意なり・・・釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり」と有るように、法華経の題目、南無妙法蓮華経を本尊にするべきと言ってます。

次に、「唱法華題目抄」の
「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり」と有るように、南無妙法蓮華経の題目を書いて本尊にする事と言ってます。

又「如来滅後五五百歳始観心本尊抄 」に
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩..「中略」是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」と書かれているように、末法に入って出現する御本尊「大曼陀羅」の事と読み取れます。

又「報恩抄」に
「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」と有り、日蓮が図現した「御本尊」と読み取れます。

たしかにこの四抄の中には、解釈が難しく、分からない所も有りますが、「観心本尊抄の漢文の読み方とか、本尊問答抄の木絵開眼とか、報恩抄の教主釈尊を本尊とするの文のあとに続く釈迦多宝の脇士とか、、、、」解釈はいろいろ有りますが、すべて日蓮が図現した御本尊の事と解釈出来ます。
それでは、この本門の本尊に図現された中央の南無妙法蓮華経についての疑問。そもそもこの曼陀羅本尊は法本尊のみなのか?人本尊も兼ねているのか?考えます。

南無妙法蓮華経は題目で有り、法華経に帰命しますと言う意味だから「法」で有り中央南無妙法蓮華経だから法本尊と捉えるべきだ。そもそも曼陀羅は「法」を体現するため画かれているので、「人」では無い。いやいや曼陀羅は具足円、すべてが含まれているから人でも有り、法でも有るとか、、、

大聖人はどう思っていたのでしょうか?
「釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし、」(四条金吾殿御返事)

「仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、」

(木絵二像開眼之事)

「今の法華経の文字は皆生身の仏なり」

(法蓮抄)

「妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給う釈迦如来にておはしますを我等が眼つたなくして文字とはみまいらせ候なり」

「妙心尼御前御返事」


「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於いては」

観心本尊抄

「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」

観心本尊抄


寿量品の肝心である妙法蓮華経の五字は、「仏の御意」と云うことになります。
また
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、」

観心本尊抄


どうやら法華経の題目と釈迦は一体で有り、法華経の文字「法華経の題目」は「人」と「法」が具わると解釈しても良いと思われます。

このように御書を拝しいくと、御本尊の「南無妙法蓮華経」は、本門久遠実成の釈尊の事で有り、大聖人の事では無いようです!そしてこの曼陀羅は、人法が備わった本尊だと解釈出来ます。










介護一ヶ月を過ぎて、

退院から一ヶ月を過ぎて、爺さんの病状が、あまりに良く無い❗️
と言うより、劇的に悪く成る一方です。
一ヶ月前は歩いて退院して来て、お風呂も入っていたのですが、今は自分で起きる事も出来ずに、寝たきりです。
食事も口から取る事は殆ど無く、
カロリー摂取量が足りなく、脱水症状が続いています。大好きお酒も殆ど飲めなく成り、かろうじて、点滴とアイスクリームなどで栄養補給をしています。

医師も心配に成り、本人に入院を進めましたが、家に居たいと強い希望が有ったようです。
仕事や病院、旅行等で、24時間家族が付きっきりで介護が出来無いので、家族が居ない時、ヘルパーさんが訪問時に亡くなっているのを発見と言うパターンも有りますが、入院どうなされますか?と言われましたが、本人の意志を尊重して、このまま家にいさせて下さいとお願いしました。
今後の治療方針を、来週話し合いを持ちます。
自宅で出来る事は、何でもしたいと思います。