雑考2

もう少しだけ、御本尊の事について考えて見ました。

大聖人は、佐渡前の本尊は釈迦像に法華経を含む一切経を置いて本尊としていました。
「其の外小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし」
「神国王御書」

「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」
「唱法華題目抄」
佐渡前は法華経と釈迦仏を本尊としてたようです。


佐渡後は、本門の本尊たる大曼陀羅を図現して、観心の本尊としました。
大聖人は佐渡後は曼陀羅本尊のみで、木仏像を本尊にしていなかったと思われますが、四条金吾や日眼女等の門下に対して、釈迦仏像建立の功徳を称え、本尊として拝むで有ろう事を容認しています。
題目には一念三千が備わっているので、釈迦立像に南無妙法蓮華経と唱える事で開眼供養に成ると解釈出来ますが、其を正しい本尊に成るかは別問題です。

「本尊問答抄」に

「問う其の義如何仏と経といづれか勝れたるや、答えて云く本尊とは勝れたるを用うべし、例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。
 問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、」
と有るように、本尊は勝れる方を用いるので、釈迦仏より法華経(南無妙法蓮華経の御本尊)を用いるべきでしょう。
又釈迦仏像単体にお題目を唱え開眼供養したとしても、久遠実成の釈尊に成らず(観心本尊抄、報恩抄を参考にしてます)久遠の四菩薩を脇士にしない仏像は、

末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊弥勒菩薩等・薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し薬はあさし、」
高橋入道殿御返事
 高橋入道殿御返事 建治元年七月 五十四歳御作

「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候も・わたくしの計にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり、」
と有るように、例え南無妙法蓮華経と唱えて開眼供養したとしても、釈迦単体では、久遠の本尊と成らずに、「余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり」に成るからです。

それでは何故曼陀羅本尊だけでは無く、釈迦仏像建立を容認したのでしょうか?
曼陀羅本尊と釈迦仏像を合わせて拝むように指示が有ったのなら良いのですが、そのような表現は成されて無いようなので、釈迦仏像のみ拝むかも知れないのに?
その理由を探って見ます。

「問うて曰く仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや、答えて曰く末法に於ては大小・権実・顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり」
「法華取要抄」 336ページ

法華経法師品に

「この経はこれ諸仏の秘要の蔵なり。分布して妄りに(信なき)人に授与すべからず。」とありますから、日蓮大聖人は釈尊を謗る逆縁の輩には「法華経を説いても、詮(せん)なきこと。」考えになったのかも知れません。
なので、日本国一同は謗法で有り、法華経をそのまま説いても、成仏に至らない逆縁の人々なので、南無妙法蓮華経の題目と曼陀羅を拝む事を(下種)奨励したのだけれど、
四条金吾や門下の人達は、順縁で有るので、迹門の釈迦仏でも成仏出来る(脱益)から、容認したのでしょう。

要するに、開眼供養した釈迦像を、順縁の人に用いる事が有っても、今逆縁の我々には、本尊は勝れた方を持ちうるべきであり、釈迦や一尊四士像等の本尊では無く、曼陀羅本尊を持ちうる事こそ、大聖人のお心にかなう事でしょう。